ロボと人と猫との三角関係という、ちょっと何言ってるかわからない関係が頭に降りてきて困っています。
たぶん『ロボット・イン・ザ・ガーデン』と『七十四秒の旋律と孤独』を読んだせいなのだと思うのですが・・・
人間とAIの共感・同調政策のため生まれてからずっと一緒に育った人間とロボ。
やがて成長して2人1組でテラフォーミング的な仕事につくようになり、誰もが羨むパートナーとして活躍。
ある時人間の方が大枚をはたいて「本物」の猫を買い出してから2人の仲にヒビが入る・・・みたいな。
ただでさえ高かったのに日々のメンテにお金がかかる猫。何かの目的のためにいるわけでもなく、
役割を果たすわけでもなく、ただそこにいるだけ。
それどころか人間の方は猫にすっかり籠絡され下僕か何かのようになり、何もしない猫のため働き
怪我を負わされても文句ひとつ言えず、仕事の精度も落ちてきた。
なのに、人間は猫の方を、長年一緒にパートナーとして生きてきたロボより愛している。
という関係が寝る前にちょくちょく降りてくる。
人間とAI、人間とそれ以外の知的存在との関係性は「絢爛舞踏祭」で完成形を見た気になっていたのですが。
ああなるまでの過程を考えたことなかったなあ、とぼんやり自覚し始めました。
七十四秒~は「ロボ→猫←人間」な構図だったうえに途中まで猫が猫であるという描写が入っておらず、
「人間もロボも魅了する女性とかどんなだ?」と思って読んでいたのですが、猫とわかって妙に納得した半面、
ロボには人間とその他の動物との役割の区別がついていないような描写が妙に気になりました。
人間なら何もしないうえ愛想をふりまいたりもしない猫を「そういうもの」と認識しますが、
何かしらの目的があって生まれるロボットはそうではないのだな、と。
ちょっと前に兄貴と「AIの人権問題がニュースになるのはいつかなぁ?」みたいな話をしていたので
これは人間とAIの意識の差を考えるきっかけになる良い作品でした。
どれだけAIが人間に危害を加えないようにプログラムに規制をしても、たぶん知的好奇心を満たすためなら
人間は平気でそれを犯すし、それによってばらまかれたAIたちは自律して行動し始めるだろうから
『プログラムの権利』というものはいずれ現実に問題になるんじゃないかなぁ・・・と思っています。
あ、あと『人間の人格のデータ化』は叶うかもちょっと気になります。
「知識」を別データとして扱ったら「人格」そのもののデータの容量は少ないかもしれない(笑
話を戻して、この人間、ロボ、猫の話は何かしら形にしたいな~とぼんやり思っています。
・・・ただの痴話喧嘩になりそうですが。
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